上三之町からは北東にあたる櫻山八幡宮の中に屋台会館がある。歩いても、すぐそこといった感じ。
屋台会館で、高山祭の屋台とご対面。豪華なものだ。。。
■屋台会館にて
ピンぼけ写真なので、こちらで、きれいな写真でご覧ください。
私の生まれ故郷にも,江戸時代に起源を持ち,山車が町中を練り歩く
お祭りがある。
ここの屋台のように絢爛豪華ではなく,ここの蔵のような立派な土蔵に保管されているわけでもないが,町の人たちが大切に守ってきた山車がある。山車(地元では「ダシ」といわず「ヤマ」と呼ぶ。)は高山や京都のもののように背高のっぽではなく,写真でしか見たことがないが,秩父のものにフォルムは近い。
祭は,例年,旧盆前の8/9〜11に行われる。
日中,山車を引くのも,お囃子を奏でるのも小・中学生くらいの子供たちが中心で,それに世話役と呼ばれる大人たちが付きそう。
夜になると,祭は大人たちのものに代わる。山車を引くのも,お囃子も大人たちの仕事になる。電球に彩られた山車は,夜の深まりとともに急に輝きを増したようになり,「エンヤッ,エンヤッ」の山車を引くかけ声,お囃子の間をつなぐ「ヨーイ,ヨーイ」の合いの手,引き手をコントロールする世話役の笛の音,出発の合図の拍子木の音,13台それぞれが織りなす「祭の音」が普段は静かな町につかの間の喧噪を作り出す。
子供の頃は,夜の祭の様子をきれいだと感じはしたけれど,大人たちが祭を楽しむ準備に忙しくしていても,好ましく思ったことはなかった。何か怪しげな世界に見えていたのかもしれない。不思議なもので,酒を飲めるようになると,単純に「祭で騒ぐ楽しさ」が共感できるようになった。この頃には,違う町で暮らしていたので,生まれ育った地の文化に対する思い入れみたいなものが生じたせいかもしれない。
最終日の11日の夜,祭は13台の山車が競うお囃子で,クライマックスを迎える。お囃子もこのころには「奏でる」から「乗る」調子に代わる。太鼓の音はよりリズミカルに,より力強さを競い,横笛の吹き手も太鼓のリズムに合わせる。引き手の若者たちは,酒に酔いしれ,輪を作って,お囃子に合わせ,卑猥めいた歌詞を大声で唄う。祭に参加している者も見物している者も,生の躍動を感じるひとときとなる。
時を重ねた祭は,その町の文化となる。商業ベースで人集めのために催されるイベントとしての祭ではなく,運営するのも参加するのも手弁当で人が集まるような祭だ。ふるさとへの身びいきもあるだろうが,他所の人たちに教えてあげたくなる祭があることは誇りである。高山をふるさとに持つ人たちも,同じような気持ちでいるんだろうなと,屋台を眺めながら思った。
【関連リンク】(文中のリンクと同じです。)
姥神大神宮祭
高山祭