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京都_13 寂光院 
 三千院の奥にある来迎院を参拝。さっきはなかった、静寂に包まれている。
 登ってきた道を下って戻り、大原のバス停を通り過ぎて、高野側の対岸にある寂光院を目指す。細い道に、人が列を作って歩みを進める。途中、露天や陶芸、土産物屋さんなどが並ぶ。陶器のコーヒーカップや、竹のビールジョッキーを眺めながら、かなりの距離を歩いて、寂光院にたどり着いた。
 ここまでの行列で想像はしていたのだが、「群れ」が境内を覆い尽くしているかのようだ。寂光院は平家滅亡の際ただ一人助け出された建礼門院の住まいとしたところで、こうした寺歴や庭の小さいけどみごとな美しさなどは、京都市街地から離れた大原まで、さらにバス停から相当の距離を歩いてまで、こうして大勢の人を呼ぶ魅力にあふれている。
 わがままを言えば、喧噪ではなく、静寂に包まれた寂光院に出会いたかった。
 
 雪の降るような朝の寒さはまだ続いていて、歩いているとさほど気にもならなかったのだが、京都市街地に戻るバスに少し間があって、さすがの北海道人も少々たじろぐ。
 昨夜同宿(同部屋ではない)だった埼玉の女子大生二人連れと、再会する。これから、大原見物とか。「行ってらっしゃいませ!」と声をかけ、京阪三条行きのバスに乗り込む。
 今夜の宿には、ちっちゃなお子さまがいっぱい。なんでも、剣道の合宿とか。かくして、京都の4日目が終了。
| 臥牛蝦夷日記 | 17:49 | comments(4) | trackbacks(1) |
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コメント
京都は季節をすごく感じるところでした。
住んでた時は、夏は盆地なので当然超蒸し暑く 冬は左京区の比叡おろし真っ向からというところに住んでたうえに 当時はお金無くて冷暖房も何もない 今風に言えばトイレ水道共同、アルミサッシではない木枠の窓が比叡山に面して どんな熱もそこから奪い取られるような部屋でセーター二枚重ねで布団に潜り込んで寝てた。
でも、人の多い夏よりは冬が好きでした。
まつさんも幸運にも目に出来た雪の三千院や、大晦日の夜の清水寺から八坂さん、知恩院と青蓮院 平安神宮から南禅寺に戻ってその後除夜の鐘を聞きながら哲学の道をとぼとぼ歩くのは 当時実家に帰るよりも好きな大晦日の過ごし方でした。
京都に行くなら季節と場所を選べるとよりいいんですけどね。
(車で行くとえらい目にあうので念のため)
| b2002yt | 2005/09/11 7:56 PM |
発見しちゃいました^^

ぼくのHPでまつさんの名前のあとに(囲碁)っていれたらはいらなかったので まつさんだけ ななえまつ3になってますが、すみません ゆるしてくださいです=^_^=

更新してないのかなぁ と思ったら ちょっとしたところ見落としてました^^; これから また遊びに来ますです^^
| GON | 2005/09/11 10:25 PM |
京都といえば ぼくは学生の時、京都地下鉄の駅で野宿しました〜そこまで青春18きっぷでいったのですが、お金なかったので^^;

そのあと円山公園いってご飯たいて…

京都 またいってみたいっす^^
| GON | 2005/09/11 10:32 PM |
お二方、コメント、ありがとう(^o^)
30年前の旅メモを発見し、いろいろな出来事を書き記すことができると思います。
記憶に残っていることと、事実がずれていたり、当時感じたことと、今、思っていることに微妙な違いがあったりして、書いていて、そうした違いを発見することに楽しさを見いだしています。
これからも、暇があったら、読んでやってください。<(_ _)>
当時の写真帳が発見できません・・・。投げた(捨てた)わけでは無いと思うのだが・・。
| 臥牛蝦夷 | 2005/09/12 6:25 AM |
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悲劇のヒロイン 寂光院へ
大原に来たからには心残りをしたくないので 寂光院へと訪れました。 山門への石段をひとつひとつ登るごとに 平家物語の悲劇のヒロインが蘇ります。
| 京・壺螺暮 | 2005/09/16 9:30 PM |