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<< 【タイトル】「連想ゲーム その2」 | main | ふたたび、津軽海峡を渡る >>
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「連想ゲーム その3」
  海から吹き付ける横殴りの雪は、礫(つぶて)となって、帰宅の道を行く私の身体を容赦なく叩く。「北風と太陽」の旅人のように、コートの襟をきつく合わせた。
 「こんな日は津軽海峡も荒れて、三角形にとがった波頭が、高く盛り上がってるんだろうな。」ここだけは守りようのない頬に当たる雪の冷たさをこらえ、凍てついた道に足下をすくわれぬよう、ただひたすら駅へと歩を進めながら、何故かそんなことを思った。
 天空の日差しを反射させながら滑らかな曲線を優雅に描き、穏やかな表情を見せるときもあれば、今日のように強い風に押されて波頭を鋭く立たせ、立ち入る者すべてを拒む険しい表情となる津軽海峡の波形は、今はもうない青函連絡船と常にワンセットの記憶として私の心にある。向かっている先は、その連絡船が発着した函館駅である。
 白い波頭を想像し、「羊蹄」、「八甲田」、「大雪」、「摩周」、「十和田」、「津軽」、「松前」という30年前に就航していた連絡船の名が続けて頭をよぎった。いくつかは、瞬時に、いくつかは記憶の底から呼び戻して。
 今でこそ、鉄路での長距離移動など、よほど物好きな人間でなければ試みもしなくなったし、物ですら飛行機輸送が当たり前になったが、かつてはこの地と本州を結ぶ動脈であり、人も物も連絡船があればこそ、行き来できた、そんな時代があった。
 その連絡船も青函トンネルの開通と同時に使命を終えることとなり、前述した貨客船は、乗船人数の減少という現実もあって、船舶定期検査の時期を迎えたものから、連絡船航路の廃止を待たずに現役を退いていった。  
 函館駅に隣接する桟橋を発着する青函航路とは別に、貨物専用船として貨車輸送を行っていた船がある。「石狩」、「渡島」、「檜山」、「空知」、「日高」、「十勝」は、そうした貨物専用船につけられた船名であった。(注)
 1976、1977と続けた私の旅も、連絡船の想い出から始まる。寒風の中、ふと浮かんだいくつかの船名に続けて、30年前に津軽海峡を往復していた13隻の名を記憶の底から蘇らせることができた。すべてが正しいのか、自信がもてなかったが、列車と違って、連絡船は単に便名で呼ばれるだけでなく、固有名詞を持っている。特急などの愛称名と違って時刻表に記載されることもないのだが、記憶の片隅にちゃんと整理されて残っていたようだ。家に帰ったら、当時就航していた船の名を確かめてみよう。
 船名を思い描いていたときには忘れていた吹雪の冷たさが、また頬の表面に痛みを感じさせる。
 とにかくたどり着きさえすれば、北風からこの身を守ってくれ、ぬくもりを感じられる駅がそこにある。北風に向かって、駅への道のりを急いだ。

【関連リンク】  青函連絡船の軌跡
注:順次現役を退いていく貨客船に代わって、旅客輸送の船数を確保するために、こちらもトラック輸送(フェリー利用)に押されて輸送量が減少していた貨物専用船が旅客輸送の船室設備を加える改造をして、青函航路に投入された。「石狩丸」、「檜山丸」の2隻が改造、投入された。
| 独白(ひとりごと) | 11:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
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