2007.10.17 Wednesday
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「百人一首」:
蝦夷地(北海道)では、下の句を読み上げ、下の句を記した木札を取る。上の句、下の句、両方を覚えなくても良いので、ゲームとしては簡単になっていて、反射神経が全てである。
問題は、木札を使うことで・・・、札は取ると言うより飛ばす感じになる(その方が、押さえるよりはるかにピンポイントにタッチでき、どっちがとったかはっきりする。このへんは、本州といっしょ)が、勢い余って、木札が襖や観戦者にも・・・。時としては、突き指など・・・。
8/23,24には千灯供養が行われ、1体ごとにロウソクが灯される。その様子は、テレビでしか見たことがないが、いつまでも心に残る。
今回、ここの関連リンクを調べてるうちに、「価値もない、有料の念仏寺」と評するHPにぶつかってしまった。化野よりさらに奥にある五百羅漢で有名な「愛宕念仏寺」を紹介したかったようだが、きっと、私とは価値観の違う方なのだろう。
京都の最初の想い出は、京都駅から御所までの旅路・・・。
8条から1条まで、たいした距離じゃないと歩き始めたのだが・・・。
《当時、京都には市電が走っていた。》
駅前から香林坊にかけて、広い通りを作る計画がずっとあって、それが、私の訪問後実現したらしい。駅前にも、高層ビルが建ち並んで、北陸の中心都市らしい都会の雰囲気が出来た。(前の方が、好みといえば好みではあるのだが・・・。)
北海道から金沢の印象を思い描いていたとき、京都のイメージとダブル部分があった。ある意味、勝手な思いこみなんだろうが、友禅がそう思わせたのかも知れない・・・。それが、崩れたのは、市内の喫茶店に入ったときだった。
美しい店員さん(ウェイトレス?)が、入ってきた馴染みらしいお客さんと会話を始め、
「・・・・・・がや。」
(・・・・・なんだ!)
結構、強烈な印象でした(^o^)。
ま、驚いたというだけで、だからどうだという話ではないのだが・・・。
いまは、八戸・函館間を結ぶ新幹線リレー特急にその名を残すのみだが、当時は、青森と大阪を12時間以上かけて結ぶ、超長距離昼間特急であった。
記憶では、4:50青森発なのだが、ここに'94.4月の時刻表がある。それでは、6:11青森発、18:38大阪着となっている。大阪の到着時刻も19時台だったような気がしているのだが・・・。
30年も前のことである。
特急白鳥想い出倶楽部
さよなら特急白鳥
内地・・・。私の世代では、本州のことを「内地」と表現することはなくなっていたが、親の世代では、北海道から見ると、本州は「内地」であったようだ。
日本の中で、隔離された、異次元の世界。もしかしたら、道外の人たちの北海道への想いも、異次元体験への憧れにあるのかも知れない・・・。
内地への移動は、高校時代の修学旅行で経験済みではあったが、それはまさに「旅行」であって、「旅」ではなかった。そのときが初めての連絡船だったのに、30年後の今、イメージが戻らない。青森に着いてから、「日本海」に乗り込んだ記憶は残っているので、昼間の連絡船だったはずなのだが、流れる景色の印象(はじめて海上から見る竜飛岬や下北の断崖は印象的なはずなのに・・・。)も覚えていない。
船はまだ、港の防波堤を過ぎていない。