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京都_05 嵯峨野その3 百人一首を連想し、孟宗竹に感じる
 歴史や美を堪能する京の寺巡りとはひと味違った化野念仏寺でのひとときを終えて、清涼寺、多宝塔が美しい二尊院、藤原定家が「小倉百人一首」を選定したと伝えられる時雨亭跡がある常寂光寺、向井去来ゆかりの落柿舎と歩む。
 
 「百人一首」:
 蝦夷地(北海道)では、下の句を読み上げ、下の句を記した木札を取る。上の句、下の句、両方を覚えなくても良いので、ゲームとしては簡単になっていて、反射神経が全てである。
 問題は、木札を使うことで・・・、札は取ると言うより飛ばす感じになる(その方が、押さえるよりはるかにピンポイントにタッチでき、どっちがとったかはっきりする。このへんは、本州といっしょ)が、勢い余って、木札が襖や観戦者にも・・・。時としては、突き指など・・・。

 嵯峨野は緑豊かな小倉山の裾野にあたり、自然が一杯に感じられる。昨日の御所、二条城巡りが街中だったこともその印象を強くしている原因かも知れない。
 特に、孟宗竹の群生に緑の質の違いを覚える。蝦夷地(北海道)では、孟宗竹が殆ど自生しない。普通の木と違って、地肌が若干の光沢を持ち、途中の幹に当たる部分に枝などが張りだしていないため、いかにもキリッと一直線に空を目指しているように見える。
 もっとも、生命力が強く、地下茎で繁殖するため、竹林に隣接する宅地などでは、その浸食に苦労するらしいのだが・・・。
| 臥牛蝦夷日記 | 20:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
京都_04 嵯峨野その2 化野念仏寺
 大覚寺から清滝へ続く道の途中に「化野念仏寺」がある。ここは、高校の修学旅行で一度訪れた場所。そのときから、お気に入りの寺院である。
 弘法大師や法然上人ゆかりと伝えられているが、なんといってもこの魅力は、本堂の前庭にびっしりと並べられた石仏、石塔の様である。その昔、この辺一体は京の墓地で、風葬の場所だったらしいのだが、明治になって、周囲にあった無縁仏や石仏が集められたとのこと。
 ここには、時の権力や歴史上の有名なエピソードもない。一つ一つの石仏や石塔には美術品としての価値もないらしい。しかし、私が心惹かれる何かが、ここには確かにある。
 8/23,24には千灯供養が行われ、1体ごとにロウソクが灯される。その様子は、テレビでしか見たことがないが、いつまでも心に残る。
 今回、ここの関連リンクを調べてるうちに、「価値もない、有料の念仏寺」と評するHPにぶつかってしまった。化野よりさらに奥にある五百羅漢で有名な「愛宕念仏寺」を紹介したかったようだが、きっと、私とは価値観の違う方なのだろう。

【関連リンク】
 化野念仏寺の紹介
 千灯供養 
| 臥牛蝦夷日記 | 20:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都_03 嵯峨野その1 大覚寺
 京都の2日目は、嵯峨野巡り。今夜の宿がある宇多野からスタート。
 田園風景に包まれたみちをたどり、広沢池、大沢池と眺めながら、大覚寺に至る。
 嵯峨天皇ゆかりの大寺で、大沢池はこの寺の苑池である。舟遊びをしたということだが、スケールがデカイ。たかが舟遊びのために、大きな池を作らなくても良いだろうとも思ったりする。どれだけの労苦が費やされたことかとも思う。
 京都を歩くと、各宗派の総本山や天皇家をはじめ平安朝の貴族、実力者ゆかりの寺院など、大寺が数多くある。スケール感や寺歴にある歴史上の人物とのつながりは、京都の歴史の凄さを感じさせてくれたりもする。たとえ幾多の時が過ぎても、訪ねる者を感動させてくれる仏像、伽藍、庭園などは日本が誇る一級の美術品である。
 こうしたものは、一握りの権力者達が、多くの民のあまたの労苦と財を費やした権力のなせる業でもある。造営当時はどう思われていたか知るすべもないが、そのお陰で、今、こうして京都を歩くときに、私たちは残された美しいものを堪能することができる。
 世界中どこでも一級の遺産と呼ばれるものは、造営物である限り、ピラミッドもアンコールワットも権力の象徴にほかならないのだから、古の民の苦労は苦労として、今は、一級品をめでる旅を続ける。
| 臥牛蝦夷日記 | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都_02 おいでやす
5条通からは、どうせ歩くならと、烏丸通を北上するのを止めて、鴨川沿いに歩くことにする。
鴨川越しには、京阪電鉄の電車が走るのを眺めたり、4条あたりでは、ビルの1階部分にある飲食店から鴨川側に座敷タイプのオープンテラスが繋がっているのを見て、「座敷か・・・」などと感じたりしながら、京都御所の前通である丸太町通に出る。
ガイドブックでは「京都御苑」なる敷地内に入る。
御所のある一角までの道は、白い砂利の道が延々と続く広い通りで、丸太町通からは約600mの距離がある。
突き当たりには建礼門、両側にうす茶色の築地塀が広がる。ここまで市街地の中を歩き、ビルなどを眼にしてきたせいなののかも知れないが、周囲に都会の喧噪(けんそう)のない場で、美しい築地塀を目の当たりに眺めると、「京都なんだ。来たんだ」という、充実感が感じられる。この一角が御所となる。
京都歩き回りはこうして始まった。
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| 臥牛蝦夷日記 | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都1条=300m・・・
 旅は、金沢から京都に移る。

 京都の最初の想い出は、京都駅から御所までの旅路・・・。
 8条から1条まで、たいした距離じゃないと歩き始めたのだが・・・。
 《当時、京都には市電が走っていた。》

 烏丸通を道なりに北へ進んでいくと、左手に東本願寺の壮大な敷地があり、その山門の前では、道が不自然に広くなっている。市電の路線も敬意を示すかのように東にずれて東本願寺の境内にあまり近づかないようにとしている。
 5条通にさしかかる。どうもおかしいのだ。だいぶ歩いた感覚があるのに、行けども行けども、5条なのである。たかが、300mに何でこんなにかかるんだ?
 あらためてガイドブックを開く。なんと、均一ではないものの、京都の1条は500mはある。
 札幌暮らしの感覚で、1条=100mと思いこんでたのだが、ということは、500m×7=3.5キロ。これはちょっとした距離である。行けども行けども5条なのである。このことに気付くまでに、すでに1.5キロは歩んできたわけで、こうなったら、行ってやろうじゃないの3.5キロである。
| 臥牛蝦夷日記 | 21:31 | comments(3) | trackbacks(0) |
金沢にて・・・兼六園など
 駅を出ると、金沢の駅前である。(当たり前か・・・。)しかし、あまりにもらしくないのだ。小さな地方都市を訪問した印象である。
 駅前から、バスで、兼六園に向かう。細い路地のような通りをくねくねと曲がりながらバスは進む。家屋はびっしりと連なってはいるもの、高層のビルも見えない。(ずいぶんと、田舎じみた街なんだなぁ〜)
 駅前から香林坊にかけて、広い通りを作る計画がずっとあって、それが、私の訪問後実現したらしい。駅前にも、高層ビルが建ち並んで、北陸の中心都市らしい都会の雰囲気が出来た。(前の方が、好みといえば好みではあるのだが・・・。)

 いきなり現れた高層ビル群に、ビックリし、そうか、ここが香林坊か。
 北島三郎の「金沢の女」の歌詞から、香林坊=飲屋街というイメージだったが、実体は都心商業地。きっと、この裏手に当たる区域に飲屋街があるのでしょう。
 着きました。兼六園。
 市街地の真ん中に、デンと緑に包まれた小高い丘がある。入園は無料。(その後、有料になった。)
 坂道を登り詰めると、大きな池が広がる。池の周りを巡ると、ちょっと風変わりな灯籠にであった。説明盤には、[徽軫灯籠](ことじとうろう)とある。確かに、琴の弦を張る道具(琴柱)に似ている。

詳しい紹介リンク  兼六園

 金沢は、兼六園だけじゃない。市の中心部に近いのに、落ち着いたたずまいの「武家屋敷」、東山の茶屋町も良い。
 北海道から金沢の印象を思い描いていたとき、京都のイメージとダブル部分があった。ある意味、勝手な思いこみなんだろうが、友禅がそう思わせたのかも知れない・・・。それが、崩れたのは、市内の喫茶店に入ったときだった。
 美しい店員さん(ウェイトレス?)が、入ってきた馴染みらしいお客さんと会話を始め、
「・・・・・・がや。」
(・・・・・なんだ!)
 結構、強烈な印象でした(^o^)。
 ま、驚いたというだけで、だからどうだという話ではないのだが・・・。

| 臥牛蝦夷日記 | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
長距離特急「白鳥」:青森−金沢
 連絡船は、早朝の青森に無事到着した。
 桟橋連絡路を通り、青森駅のホームに降り立つ。ホームの幅がやけに広い。
 ここから、日本海沿いに金沢へと向かう。利用するのは、特急「白鳥」。
 いまは、八戸・函館間を結ぶ新幹線リレー特急にその名を残すのみだが、当時は、青森と大阪を12時間以上かけて結ぶ、超長距離昼間特急であった。
 記憶では、4:50青森発なのだが、ここに'94.4月の時刻表がある。それでは、6:11青森発、18:38大阪着となっている。大阪の到着時刻も19時台だったような気がしているのだが・・・。
 30年も前のことである。

特急白鳥想い出倶楽部

さよなら特急白鳥


 青森の街に降り立つことなく、日本海沿線経由、金沢へ向け、出発である。

 青森から金沢までの行程は、数年前、高校の修学旅行で、青森から京都に向かったルートと同じである。
 もっとも、そのときは、寝台特急「日本海」での行程であった。
 なにがなんでも、最長昼間特急に乗りたかった。寝台と違って、車窓の風景も楽しめるはずだ。・・・宮脇俊三氏なら、ここで、原稿用紙の10枚くらいは書くのだろうが、憧れの列車は、淡々と日本海沿いを走り続け、大きな出来事といえば、新潟で列車の進行方向が逆になるため席の向きを変えたことぐらいで、親不知、子不知の景勝地もトンネルであっさりと通り過ぎ、金沢に到着。
 鉄道大好きとはいえ、さすがに、金沢到着時は鉄路の旅も飽きたし、身体も痛くなった。

かくして、金沢。
| 臥牛蝦夷日記 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
内地に
 内地・・・。私の世代では、本州のことを「内地」と表現することはなくなっていたが、親の世代では、北海道から見ると、本州は「内地」であったようだ。
 日本の中で、隔離された、異次元の世界。もしかしたら、道外の人たちの北海道への想いも、異次元体験への憧れにあるのかも知れない・・・。
 内地への移動は、高校時代の修学旅行で経験済みではあったが、それはまさに「旅行」であって、「旅」ではなかった。そのときが初めての連絡船だったのに、30年後の今、イメージが戻らない。青森に着いてから、「日本海」に乗り込んだ記憶は残っているので、昼間の連絡船だったはずなのだが、流れる景色の印象(はじめて海上から見る竜飛岬や下北の断崖は印象的なはずなのに・・・。)も覚えていない。

 とにもかくにも、夜の津軽海峡を渡り終えて、早朝の青森に到着である。

| 臥牛蝦夷日記 | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
旅の始まりは、連絡船から
 「旅」と呼べるものの、最初の経験は、1975の春、3月。
 深夜、0時過ぎの連絡船から始まった。
 目指すは、途中下車付き関西までの往復旅行。もちろん、飛行機などという怖いものには乗らない。鉄路利用である。
 今でこそ、青函トンネルで陸続きとなったが、当時は、北海道から本州に渡るには、青森まで約4時間の船旅が必須だった。
 出航の合図のドラ、桟橋と繋がれていたタラップが離れ、連絡船は、ゆっくりと岸壁を離れていく。
デッキにたたずみ、少しずつ小さくなっていく街の明かりをただぼんやりと眺めていた。
 暦では春といっても、北国では、まだ、冷たい空気が身体をたたき、早々に船内に引き上げる。
 

船はまだ、港の防波堤を過ぎていない。



ご希望の方は、こちらも・・・
http://fuji0001.hp.infoseek.co.jp/renrakusen/top.htm
http://dmh17.web.infoseek.co.jp/seikanrenrakusen01.htm
| 臥牛蝦夷日記 | 15:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
『旅』への誘い〈いざない〉
 平凡なサラリーマンにとっては、毎日が、単調な時間の繰り返しである。
だからといって、それを平凡な毎日だ、退屈だと不満を持つようでは、サラリーマン生活などやってられない。
 少しだけ暖かく、優しさをました頬に当たる風や、厚い雲に覆われた昨日とはうってかわって、柔らかな日差しに、「春」を感じるようでなければ、本当に変化のない毎日を過ごすだけになってしまう。
 刺激の少ない毎日ではあるが、少しの変化に昨日とは違う何かを見つけ、喜び、想像の出来る明日があることに満足しているような感性じゃないと、サラリーマンを続けてはいけないのだ。
 しかし、である。
 そんな、平凡な毎日の繰り返しに、ふと、異空間への憧れをいだくことがある。
例えば、毎日の通勤で見かける、特急列車の編成であったり、TVの旅番組であったりする。
 いつもと違う空間に身を置くことだけでなく、心を異空間に運ぶこともまた、私の旅としてはある。


空間移動そして異次元への旅
 −−「旅」とは、いつもの生活の場とは異なる空間で時間を過ごすこと。−−
 単に、一泊を違う場所で過ごすだけでは成立しない。
 仕事でも、社会生活のやむを得ないつき合いでもなく、己の「楽しむ心」を伴った、時間でなければならない。
 だから、通勤途中でも、いつもと違う道を、訳もなくたどりたくなって、いつもと違う時間を過ごせば、それは、「旅」なのである。
 こうした、『空間移動』とは違った意味で、もう一つの旅がある。
 それは、−−心がいつもと違う時間を過ごすこと。−−
 本を読んで、映画やドラマを見て、心を揺さぶられるとき。確かに、単調な、パターン化した時の流れとは違う「時」を過ごしている。時間をどう使うかと言う意味では、全く同質のもの。
 私にとっての、もう一つの「旅」である。
| 独白(ひとりごと) | 19:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
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