2007.10.17 Wednesday
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今見ても、石の像の何となく日本的じゃないところが面白い。一説には、朝鮮の影響があるとのこと。
遺跡的なものでしか歴史を偲ぶことのできないところに、こうして過去の人々の営みを見て取れるものがある。それが、日本的でないというところに、今感じている日本的なものが成立する以前の大和の姿が残されていると言えるのかも知れない。
帰化人(今は、「渡来人」と表記するべきなのかな?)の強い影響があるのだと思ったりする。ちなみに、私は継体天皇、朝鮮渡来説は説得力があるのではないかな?と思っている。
当時、飛鳥にまつわる歴史といえば、聖徳太子と十七条の憲法、大化改新という単語しか思い浮かばなかった。小墾田宮(おはりだのみや)や板蓋宮(いたぶきのみや)で、何が起こったのか知っていないと、古を偲ぶといった心にもならなかったのだろう。見てきたところの記録しか残っていない。
今は、当時より少しだけいろいろなことを知って、この地の持つ深さを少しは理解したつもりだ。今、巡ると、きっと面白いだろうなぁ〜・・・。謎の石の造形物達も、歴史と無関係に、古代人の置き土産として楽しめるような気がする。
ちなみに、小墾田宮は十七条の憲法の制定地、板蓋宮は、聖徳太子一族滅亡の地。
最新の国土地理院の地図を眺めていたら、東海自然歩道とかの記載が、峠の茶屋までと、それより円成寺の近くにもある。記憶でしかないのだが、峠の茶屋以降は舗装道路をてくてく歩いたと思っているので、最近、整備でもされたのだろう・・・。円成寺は、奈良市内からも遠く、東大寺や観光スポットの賑わいはない。境内の外に取り残されたような庭園(イメージとしては遺構?)は、寺歴とともに相当に高名なものらしいのだが、いかんせん、この旅の開始以来、寺院建築や庭を見続けてきたせいで、感動が沸かない・・・。今日、ここにたどり着くまでに出会った「野仏」の大地とともにある姿に強く心を引かれたしまったせいかもしれない。
ここ柳生街道で、石仏の魅力に惹かれた。特に磨崖仏と呼ばれる存在には、強く惹かれる。その意味で、九州、臼杵の石仏群は私の憧れでもあるのだが、未だに訪問できていない。酸性雨の影響で風化が進んでいるとの話も見聞きし、気にはなるのだが・・・。
奈良観光地図作製に手間取ってる。といいうか、奈良観光【こちらがリンク】の地図が良くできてるので、いまいち、気力が沸かない・・・。