2007.10.17 Wednesday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| - | | - | - |
何故、松本の地でここを訪ねることになったのか、その理由は定かではない。残っている記憶の中には、柳田国男の名が浮かぶのだが、確か高校時代に、随筆が国語の教科書にあったような記憶もあり、それと「民芸」が単に結びついているだけなのかもしれない。どうもはっきりしない。昼食後、急行アルプス4号乗車し、定刻18:11、新宿着。当初は、河口湖にも立ち寄る予定であったが、天候が芳しくなく、東京まで直行。
今、「松本民芸館」のHPを開いても、柳田国男の名が出てこないので、たぶん断片的な記憶同士が勝手に結びついているだけなのだろう。
■民芸館庭の石仏
柳生街道以後、こうしたものに心惹かれるようになった。
当時は、金沢城跡に金沢大学があり、黒門から学生が出入りしていたが、最近の記事を読むと大学が移転し、菱櫓などが復元されているとのこと。何年か前に訪ねたのに、彦根城の記憶がいまいちだが、こちらの松本城の方が規模が大きいように思う。何もない、城址公園よりは天守閣が残っているのは貴重なのだろうが、広い城趾にぽつんと天守閣だけがあるというのも、何か寂しい感じがしないでもない・・・。
THANKS:妻籠、馬籠峠越えの記事では、「南木曾町」、「妻籠観光協会」から、写真、説明図の提供をいただきました。ありがとうございます。
私が妻籠を訪ねたのは「春」だったので、ここに掲載した「今の妻籠」のきれいな紅葉は見ていません。新緑の美しさも、すがすがしさも、しっかりと印象に残ってます。4月2日
人口減少が続く山村の集落をどうしたら守っていくことができるか、この地に住み続けるためには何をなせばいいのかを地域の人たちがしっかりと考えて、妻籠の保存計画が始まったと、旅の後で知った。今夜の宿は、「新井筒屋」という民宿。晩のおかずに『ほう葉味噌』をいただいた。『ほう』という木の葉を小さな七輪みたいなものに乗せ、その上に味噌を乗せて、下から炭火で暖めたもの。「ほう」は、大きくて厚く、見たことも聞いたこともない木の名である。ご飯に塩辛さが合って、美味しかった。
訪ねたときの「ロケのセットみたい」という印象は印象として心に刻まれているが、振り返って「妻籠」で検索されるいくつかのホームページやブログを見ていると、私が訪ねたときと変わらない姿勢で、今も「まち」が守られていることを知る。そして、私が訪ねたときよりたくさんの人たちが「まち」を訪ねているようだ。
そうした、記事を読んでいると、何故か、無性にうれしくなったりする。あれから、30年。私が印象として持つことになった一因と思われる「新しく、町並みに合わせて建てられた建物たち」も、木曽の風土にとけ込んでいるに違いない。
■30年前の妻籠
■今の妻籠
この写真のサイト
「石畳が残る落合に向かう。」と書いたものの、『落合の石畳にて』という記念写真があるだけで、十曲峠を越えた記憶もない。「昭和63年から木の葉に埋もれた石畳の道を整備した」との紹介記事もあり、記憶は怪しい・・・。石畳を見てから少し行くと、バス停も現れたりしたものだから、さすがに峠越えの疲れが出てきたということもあって、妻籠に向かうバスに乗ることにした。
ただ、馬籠から、中津川方面に歩を進めたのは間違いのない記憶である。
「妻籠は、江戸時代の宿場町の町並みがしっかりと保存されているところで、全国の歴史的町並み保存の先駆的地区である。」と紹介されている。馬籠からバスで着いて、かつての中山道沿いにある今夜の宿に荷物を預けたので、当然のことながら、地区の雰囲気は味わったのだが、まずは、峠越えの様子から。宿に荷物を預け、さっきまで滞在していた馬籠を目指す。
どうも、当時の記憶が定かではないのだが、バス路線は馬籠峠越えの道ではなく、木曽川沿いの国道経由だったと思う。当時から、峠越えのバス路線もあり、普通ならその路線を利用するはずなのだが、バスに乗って、「随分と遠いところに妻籠があるのだな、歩くのは大変かな?」と思った記憶と、実際に歩いた後で、「もう着いちゃった。」という記憶がある。だから、今、馬籠から妻籠周辺のブログ掲載用の地図を作製しながら、たぶん、国道沿いのバス路線を利用したのかな?などと思ったりする。
このブログ、30年前の旅をずっと現在進行形で書き連ねてきた。実は、奈良の唐招提寺までは、旅の直後に綴った想い出記録が残っている。だが、柳生街道からは、写真と行程を記したメモだけを頼りに進めてきた。あることないこと、記した部分もあったかと思うが、それなりに記憶が呼び戻されて、若かった頃の気分で書き連ねることができたが、馬籠峠越えの部分になって、どうしても旅の記憶と実在が一致しなくなってきた。
例えば、記憶の中にあるイメージでは、1時間ちょっとで妻籠から馬籠峠を越え、馬籠に抜けたと思っていたのだが、標高差400m、距離9kmを1時間ちょっとで終えることは、いくら二十歳の若者だったとしても、走ったわけではないので、無理というものだろう。 事実はどうだったのか・・・。