4月1日(金) 快晴
YH7:25→古江駅→(一畑電鉄)→松江温泉→松江駅9:00→鳥取駅(昼食)→城崎15:10
松江から城崎まで、山陰本線を普通列車の旅。直通の列車がないので、鳥取駅で乗り換え。
'76の旅は京都が中心で、目的地間も比較的近かったのだが、'77は、中国地方をぐるっと1周する行程で、そこに、長崎まで加えたものだから、目的地間の移動距離が長くなった。距離的なものもなのだが、山陰に入ってからは、交通機関の運行頻度が低いこともあって、時間もかかるようになった。
この日は、城崎まで、ひたすら移動の予定だったので、がんばれば「鳥取砂丘」の見物くらいの時間的余裕はあったのだが、3人とも日より気味で、昼食を取っただけで、鳥取を後にした。
4時間ほど列車に揺られ続けたのだが、記憶にあるのは、もうすぐ余部鉄橋にさしかかるぞと思ったら、あっさりと通り過ぎてしまった事くらいである。そう言えば、'76、'77の旅を通して、鉄道好きを自認する割には、乗車中の車窓のイメージが今でも残っているのはあまり多くない。鉄道好きにも、ひたすら乗車するタイプと、鉄道車両愛好家タイプがいるらしいが、どうやら後者のタイプなのだろうか。今までは、どちらかというと、前者タイプなのかと思っていたが、この年になるまで、自分の嗜好も分からないというのは、何とも情けない限りではある。
城崎下車は、この旅行中に一度くらいは温泉地に泊まってみたいと思ったことと、前年、木曽の「馬籠、妻籠」を訪れた動機が、新潮文庫で触れた「夜明け前」であったように、「城崎にて」を読んだ影響もあった。小説自体から強い感銘を受けたわけではなかったが、旅行ガイドでも、有名な温泉地であり、外湯などもあるとのことだったので、興味が沸いた。
と言うことで、松江から次の観光地の天橋立に向かう途中で、城崎一泊の予定を立てていた。私は、根っからの心配性で、宿泊先の決まらない旅は不安なのだが、同行の二人は楽観派で、YHならともかく、ホテルや旅館を事前予約するなど端(はな)から思考にない人たちなので、神戸の時がそうであったように、この日も事前予約はしなかった。
駅前にある、観光案内所で、「どこか安い宿ないですか?」と尋ねる。幾らで交渉したか忘れてしまったが、1泊2食で一人5,000円くらいのような記憶がある。30年前とはいえ、城崎では破格の値段らしく、「さてねぇ〜」と窓口のおじさんが首をひねりながら、どこかに電話を入れた。