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城崎にて 2
旅の想い出の一品
30年前の「城崎温泉旅館位置図」なのだ。
小さすぎて、良くわからなそうなので、拡大図を用意しました。
電話番号に”局番”がないのが、何とも時代を感じさせますねぇ〜・・・。
城崎温泉旅館位置図

赤鉛筆の記載は、「観光案内所」のおじさんが書いてくれたもの。


ブログ記載の大女将さんから、ご挨拶状をいただきました。
なんか、このブログを書き始めて、とっても良かったと思えてます。
| 臥牛蝦夷日記 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(1) |
城崎にて
 この日の宿は、駅近くの「三国屋」さん。
 通された部屋は、玄関を入って、ちょっと暗めの廊下を進み左側の部屋。YHばかりを泊まり歩いてきた身には、過分な広い部屋である。この宿でここだけというバス、トイレ付きの部屋。なんでも、本日、団体さんがお泊まりで、この部屋しか空いてないのだとか。後で分かったことだが、部屋に案内してくれたのは、この宿の女将さん。歓迎のお茶などを入れてもらっている間に書き終えた宿帳をみて、「北海道からですか。」とおっしゃる。「戦争中に、函館に疎開しとりまして、懐かしいですね。」
 同行の3人のうち、一人は、函館在住であった。細かな会話は忘れたが、しばし歓談。
 宿にも風呂はあるが、外湯をどうぞとの案内もあって、夕食前に出かけることとする。6つあるとのことだが、この日は地蔵湯、一の湯と入らせてもらった。全部をまわるのが礼儀かもしれないが、これ以上湯船につかれば、せっかくの温泉が苦行に変わりかねないので、2軒で打ち止めとし、宿に戻る。
 さて、待望の晩飯である。宿泊がYHということもあって、旅行中慎んでいた酒も、一人一合付けてもらうことにした。破格値段での宿泊という意識もあるし、通された部屋がこの宿一番の部屋と言うことだったので、正直、晩飯の献立にはあまり期待していなかったのだが、粗食に慣れ親しんだ身には、豪華絢爛。マツバガニまで登場してもらったのには感激しまくり。
 夕膳のまかないも、女将さんがやってくれました。

 久しぶりの酒が利いたのか、食後、急速に眠くなる。早々に3人そろって就寝。宴会でも終わったのか、同宿の団体客が廊下で大きな声を出しているのを聞きながら、眠りに落ちる。厚手のマットにふかふか気分で気持ちがいい。
 
↓献立
夕:松葉ガニの三杯酢、茶碗蒸し、トロの刺身、クラゲの酢の物、天ぷら、漬物
朝:ワラビとキクラゲづけ、玉子焼き、湯豆腐、漬け物、海苔

【関連リンク】 一の湯、地蔵湯その他の外湯 

四方山話:
 今回の旅日記の文章を綴りながら、HPなどを検索。三国屋さんのもありましたねぇ〜。三国屋の女将さん、ご健在かしらと思いながら、HPを眺めていたら、パソコンに向かう女将さんの姿がありました。【参照先】−ページの一番下
 時間も経ってるから経営母体の交代などもあり得ますが、後ろ姿とはいえ、当時のイメージや年齢が記憶と合致するので、多分、同じ方でしょう。−その節はお世話になりました。m(_ _)m−
| 臥牛蝦夷日記 | 06:21 | comments(3) | trackbacks(0) |
城崎まで
4月1日(金) 快晴
 
 YH7:25→古江駅→(一畑電鉄)→松江温泉→松江駅9:00→鳥取駅(昼食)→城崎15:10

 松江から城崎まで、山陰本線を普通列車の旅。直通の列車がないので、鳥取駅で乗り換え。
 '76の旅は京都が中心で、目的地間も比較的近かったのだが、'77は、中国地方をぐるっと1周する行程で、そこに、長崎まで加えたものだから、目的地間の移動距離が長くなった。距離的なものもなのだが、山陰に入ってからは、交通機関の運行頻度が低いこともあって、時間もかかるようになった。
 この日は、城崎まで、ひたすら移動の予定だったので、がんばれば「鳥取砂丘」の見物くらいの時間的余裕はあったのだが、3人とも日より気味で、昼食を取っただけで、鳥取を後にした。
 4時間ほど列車に揺られ続けたのだが、記憶にあるのは、もうすぐ余部鉄橋にさしかかるぞと思ったら、あっさりと通り過ぎてしまった事くらいである。そう言えば、'76、'77の旅を通して、鉄道好きを自認する割には、乗車中の車窓のイメージが今でも残っているのはあまり多くない。鉄道好きにも、ひたすら乗車するタイプと、鉄道車両愛好家タイプがいるらしいが、どうやら後者のタイプなのだろうか。今までは、どちらかというと、前者タイプなのかと思っていたが、この年になるまで、自分の嗜好も分からないというのは、何とも情けない限りではある。
 
 城崎下車は、この旅行中に一度くらいは温泉地に泊まってみたいと思ったことと、前年、木曽の「馬籠、妻籠」を訪れた動機が、新潮文庫で触れた「夜明け前」であったように、「城崎にて」を読んだ影響もあった。小説自体から強い感銘を受けたわけではなかったが、旅行ガイドでも、有名な温泉地であり、外湯などもあるとのことだったので、興味が沸いた。
 と言うことで、松江から次の観光地の天橋立に向かう途中で、城崎一泊の予定を立てていた。私は、根っからの心配性で、宿泊先の決まらない旅は不安なのだが、同行の二人は楽観派で、YHならともかく、ホテルや旅館を事前予約するなど端(はな)から思考にない人たちなので、神戸の時がそうであったように、この日も事前予約はしなかった。
 駅前にある、観光案内所で、「どこか安い宿ないですか?」と尋ねる。幾らで交渉したか忘れてしまったが、1泊2食で一人5,000円くらいのような記憶がある。30年前とはいえ、城崎では破格の値段らしく、「さてねぇ〜」と窓口のおじさんが首をひねりながら、どこかに電話を入れた。
| 臥牛蝦夷日記 | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
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