臥牛蝦夷日記のベースとなるのは、高校の修学旅行である。で、ここで、高校時代を振り返ってみたい。
高校の修学旅行は、1年から2年になる春休みだった。一般的な修学旅行のシーズンとは異なる時期であったが、どこに行っても、制服姿の団体行動の一団に出会った。女子校の一団と出会った時には、何故か、どこの学校の何年生かという情報が駆けめぐる。さすがに1年を終えたばかりの集団は私たちだけで、いかに可愛らしげな感じでも所詮はお姉様。この時期、1歳年上となると、人生の大先輩なわけで、お近づきになるような機会を持とうという気分にもならなかった。
出かけた先は、京都、奈良、吉野。。。
時期も変わっているが、京都、奈良は定番として、吉野まで足を伸ばすということは北海道の高校にしては珍しいものであった。
1976年4月1日、8クラス総勢380人の旅となる。列車の座席の確保などが無理だったのだろう、2班に分かれての出発となった。札幌−函館を列車で4時間、青函連絡船が4時間、青森発の寝台列車に乗り込んで翌朝、京都着。正確には覚えてないが、20時間くらいの行程だったと思う。お決まりだが、寝台列車では一睡もしなかった。
京都では、銀閣寺、清水寺、二条城、嵯峨野巡り・・・たぶんこのほかにもどこかに行った。観光貸切バス(国際興業だったと思う。)での点と点の移動だったから、全体像としての京都を知ることはなかった。寺ばかりの街のイメージが残っている。町屋や、四条河原町の大都会らしいビル群の存在を知ることになるのは'76旅を待つことになる。
印象に残っているのは銀閣寺での庭の手入れ、特に筋目の入った白砂や月見台の造形に感じ入る。
夜は、しばしの時間、お土産探索。寄宿後、同室の連中が持ち込んだウィスキーの小瓶をキャップに一人一杯で、回し飲み。昨夜は一睡もしていないので、枕投げの元気もなく、爆睡。