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高山 2
 ◆30年後の記憶◆ 今回、写真を整理してて、「あれっ?妻籠の写真混じってる。」とまじで、思ってしまった。2つ並べると、確かに違うんだけどね。
 「久田や」さん、今は、旅館業をやめて、「郷土料理屋」さんとなってるらしい。紹介記事なんかをwebで見てると、入口は改造されていて、内部も椅子席が配置されてるようだからだいぶ変わってるのではないかと思うのだが、紹介記事では「江戸時代から続いた旅館の雰囲気がある。」となっている。基本的な構造なんかはそう変わってないようだ。

■ 30年前の写真から
■ 高山のまちなみ
 このときは、旅館屋さんらしく、玄関先には、旅の衣装(かさ、みの)が飾ってあった。

■ 妻籠の町並み

■ 今の写真
■ 高山のまちなみ
 招き猫が玄関先でお出迎えするようになりました。

■ 妻籠の町並み


※ 「今の写真」は、それぞれの観光協会のHP画像を利用させていただきました。写真表題をクリックすると、大きな画像が楽しめます。
| 臥牛蝦夷日記 | 08:02 | comments(2) | trackbacks(0) |
高山 1
4月5日(火) 快晴
◆30年後の記憶◆
 ついに、この日のメモは、天気しか書いてない。白川郷から高山への道のり、山深い白川郷からJRも通ってる高山に出るのだから、さぞ険しい山道を抜けていくのだろうと勝手に想像していたのだが、峠を意識させるような急な勾配もないまま高山に入ったイメージがある。
 2泊3日の滞在で、どこをどう回ったのか定かではないのだけれど、上三之町界隈をブラブラと歩き、喫茶店やお土産物屋さんに立ち寄った記憶がおぼろげにある。
 まちを歩く人すらあまり見かけない白川郷から高山に出てきたせいもあるのだろうが、人波にもまれるような混雑ぶりであった。◆ここまで◆

 
 今夜の宿は、上三之町にある『久田屋』さん。江戸時代から続く宿屋さんで、今は民宿になっている。表の雰囲気は、木曽路の妻籠宿にある生駒屋さんそっくりで、看板がないと間違えそう。
 背の低い入口をくぐると土間が奥の方に続いていて、右手に板敷きの広い部屋がある。
 ここで、ご宿泊者みんなそろってのお食事なんだけど、「ほう」の葉を一人用七輪(固形燃料だったような)に乗せ、ネギ味噌を暖めてご飯と一緒にいただく。うまいんだなぁ〜これが。
久田や前1■ 上三之町界隈
右側が泊まった宿、久田屋さんです。

久田や前2

| 臥牛蝦夷日記 | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
白川郷 3
 残雪と青空、過酷な冬から暮らしを守る威風堂々とした合掌造り。
 自然と人の営みが心地よく交わる姿に、安らぎを覚える。
 
 過酷な冬の暮らしを越えた後、目にするもの、聞こえてくる音、身体を包み込んでくれる温もり、こうした春の再来を感じさせる自然の語りかけは、冬の試練を乗り越えてきたものにとって、歓喜を呼び起こすもの。
 草花が芽吹き、新緑の柔らかそうな色合い、陽光の温もり、雪解け水のせせらぎの音、どれほどの価値があるかを身体で感じている。
 だからこそ、春は、雪に埋もれる地に暮らすものだけに特別の優しさを恵むと思っている。雪解け水でぬかるむ小道の様にも、優しさがある。

 冬のつらさが想像できない、暖かな日だまりの中を散策した。一番、素敵なときに訪れたのかもしれない。









 多分ここは、『白川八幡宮』
| 臥牛蝦夷日記 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
白川郷 2
◆30年後の記憶◆
 白川郷で撮ったらしいいくつかの写真が残っているのだが,どの位置で,何を撮ったものか皆目見当が付かない。
 これまでも,撮ってあった写真がどの場所なのかすぐには分からないものもあったが,ネットで検索しているうちに同じアングルの掲載写真を見つけ,「ここだな」と確信の持てる場合がほとんどであった。
 だが,何故か白川郷の写真は,撮影位置を特定できない。
 まとまって残っているのは白川郷だけといってもいいのだが,合掌造りの民家は飛騨地方の各所に今も残されており,高山市近郊にも飛騨地方の民家を移築し,まとめて残している「飛騨の里」がある。'77の旅では,多分この場所には寄ってないはずなのだが,記憶が曖昧なままなので,もしかしたら,掲載した写真の中に,混じっているかもしれない。。。

白川郷の写真はもう少しあるので、明日でも、また。
















| 臥牛蝦夷日記 | 10:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
白川郷 1
4月4日(月) 快晴
 朝、7時過ぎのバスで白川郷へ。
 山奥深く入ったところに鳩ヶ谷がある。白川郷は合掌造りの建築が有名なところ。このあたりには、まだ雪が残っていた。冬は名古屋からのバスも運休するような山深いところだけに雪も多いのだろう。まだまだ、寒さも残っていた。
 観光シーズンにはずれているせいか、それともこれが本当の白川郷のたたずまいなのか、静寂そのものの感があった。

 風邪の症状が悪化し出す。どうやら、天橋立で引いたらしい。

 『合掌の里には、確かに人々の生があり、それはとても素敵であった。苦労して訪ねただけのことはあった。民宿でどぶろくを勧められたのに、風邪で飲める気分じゃなかったのが、悔しい。』と、当時のメモにある。

◆30年後の記憶◆
 長距離のバス旅行なんだけど、特に印象がない。今でも3時間を超える移動で、9時に名古屋を出発して、12時半近くにやっと鳩ヶ谷に到着する運行ダイヤである。30年前は、7時過ぎ(どうも怪しいが、高速道路も無い時代である、あながち記憶違いと言うこともないだろう。)1時を過ぎていたような記憶がかすかにある。旅も長くなってきたし、たくさんの想い出が詰まって、多少のことでは印象深いと思えないようになってきたせいかもしれないが、初めて眺める車窓の景色さえもメモを残すこともなく、淡々と走るバスに黙々と乗ってただけなのであろう。
 御母衣ダムのそばを通った。土木を学ぶ学生としては、さすがにこのことだけは、記憶に残っていた。だが、記憶とは不確かなもので、ロックフィルダムの赤茶かけた岩の塊を積み上げただけのような見た目に、これで持つのかしらと心配した(余計な心配ではある。。。)印象はあるのに「御母衣ダム」の名称は思い出せなかった。今回、地図を確かめて「そうだったよな。」と、思い返す。進行方向右手前方に見えていたと思ってたダムが、右手後方に見える道路の位置関係だった。(道路が変わってるのかもしれないけど。。。)


気張って書いたので、写真は明日以降に
| 臥牛蝦夷日記 | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
天橋立−名古屋
4月3日(日) 晴れ 
 『天橋立』で1泊。京都から名古屋まで抜ける。名古屋ではビジネスホテルを予約していたのだが、名古屋駅からそのホテルまでたどり着く道順が分からなくて難儀した。駅前のデパートの案内嬢に聞いたら、一所懸命、丁寧に教えてくれたことに感激した。
 晩飯は、「きしめん」。うどんの変形の食べ物のイメージだったのだが、汁が黒い色じゃないのはどうも調子が出ない。もともと、うどんより蕎麦派と言うこともあるのだろうが、麺類と言えば濃い口醤油の黒色汁しか食べたことのない者には、さっぱりしすぎてものたりない気分である。

◆30年後の記憶◆
 名古屋に着いたのが日暮れ時だったような記憶があるのだが、定かではない。天橋立から名古屋に着くのに1日かかるというのも、ちょっと腑に落ちない部分があるので、もう少し早い時間に到着していたのかもしれない。
 どちらにしても、名古屋は中継点。明日は、白川郷に向かう。
 
| 臥牛蝦夷日記 | 20:46 | comments(2) | trackbacks(0) |
天橋立 2
 前にも書いたけど、記憶というのはかなり曖昧なもので、ましてや30年も前と言うことになると、不確かさの題名染みたになってしまう。
 ここ、天橋立の記憶ではっきりとしたもので、かつ今回調べていてどうやら事実と大きな違いはないと確かめられたのは、JR(当時は国鉄)駅の対岸に「笠松公園」があったことと、天橋立の中を自転車をこいで、笠松公園に向かったこと。
 地図で見ると、駅側に潟湖と外海を繋ぐ水路のようなものがあって、そこには跳ね上げ式の橋が架かっているのだが、記憶では笠松公園側にあった。
 笠松公園まで登って行くには、ケーブルカーとリフトと2つの交通手段があるのだが、リフトにはうっすらと記憶があるもの、ケーブルカーは全く記憶にない。もしかしたら、ケーブルカーに乗っていたのかも。。。

 
| 臥牛蝦夷日記 | 14:54 | comments(1) | trackbacks(0) |
天橋立
4月2日(土) 晴れ

 城崎9:52→豊岡10:06→"やしろ"→豊岡駅11:35→天橋立

『城崎にて1泊。天橋立に向かう。
日本三景の一つ、天橋立は、驚くほど素晴らしい眺めというわけもなかった。俗に観光であまりにも有名なところは、こんなものかな。』

 この記述は、当時のメモにある感想だが、
とりあえず、おなじみのgoogle-mapの地図と航空写真を眺めてもらおう。(是非、航空写真も見てくださいな。)



 悠久の時の流れを経て、こうした地形(砂州)ができあがったわけで・・・海と松と白砂のコンビネーションが「景勝地」と呼ばれるようになる。
 ※「砂州」の詳細について、地理学的お勉強講座
 サロマ湖なんかは、スケールの大きい砂州なのだが、ランドサットレベルの高度じゃないと認識できないから、「景勝地」の称号を得るにはつらいかな。サロマ湖の全容
 そんなこんなで、天橋立には笠松公園という、絶好の眺望地点があります。
 ■笠松公園から



 ■股覗き
 上の写真を上下逆にしてみました。


 

■おまけ 
久しぶりの記事アップなので、思いっきりサービス。南側(つまり、笠松公園の対岸)からの写真です。
 
 
| 臥牛蝦夷日記 | 10:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
城崎にて 2
旅の想い出の一品
30年前の「城崎温泉旅館位置図」なのだ。
小さすぎて、良くわからなそうなので、拡大図を用意しました。
電話番号に”局番”がないのが、何とも時代を感じさせますねぇ〜・・・。
城崎温泉旅館位置図

赤鉛筆の記載は、「観光案内所」のおじさんが書いてくれたもの。


ブログ記載の大女将さんから、ご挨拶状をいただきました。
なんか、このブログを書き始めて、とっても良かったと思えてます。
| 臥牛蝦夷日記 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(1) |
城崎にて
 この日の宿は、駅近くの「三国屋」さん。
 通された部屋は、玄関を入って、ちょっと暗めの廊下を進み左側の部屋。YHばかりを泊まり歩いてきた身には、過分な広い部屋である。この宿でここだけというバス、トイレ付きの部屋。なんでも、本日、団体さんがお泊まりで、この部屋しか空いてないのだとか。後で分かったことだが、部屋に案内してくれたのは、この宿の女将さん。歓迎のお茶などを入れてもらっている間に書き終えた宿帳をみて、「北海道からですか。」とおっしゃる。「戦争中に、函館に疎開しとりまして、懐かしいですね。」
 同行の3人のうち、一人は、函館在住であった。細かな会話は忘れたが、しばし歓談。
 宿にも風呂はあるが、外湯をどうぞとの案内もあって、夕食前に出かけることとする。6つあるとのことだが、この日は地蔵湯、一の湯と入らせてもらった。全部をまわるのが礼儀かもしれないが、これ以上湯船につかれば、せっかくの温泉が苦行に変わりかねないので、2軒で打ち止めとし、宿に戻る。
 さて、待望の晩飯である。宿泊がYHということもあって、旅行中慎んでいた酒も、一人一合付けてもらうことにした。破格値段での宿泊という意識もあるし、通された部屋がこの宿一番の部屋と言うことだったので、正直、晩飯の献立にはあまり期待していなかったのだが、粗食に慣れ親しんだ身には、豪華絢爛。マツバガニまで登場してもらったのには感激しまくり。
 夕膳のまかないも、女将さんがやってくれました。

 久しぶりの酒が利いたのか、食後、急速に眠くなる。早々に3人そろって就寝。宴会でも終わったのか、同宿の団体客が廊下で大きな声を出しているのを聞きながら、眠りに落ちる。厚手のマットにふかふか気分で気持ちがいい。
 
↓献立
夕:松葉ガニの三杯酢、茶碗蒸し、トロの刺身、クラゲの酢の物、天ぷら、漬物
朝:ワラビとキクラゲづけ、玉子焼き、湯豆腐、漬け物、海苔

【関連リンク】 一の湯、地蔵湯その他の外湯 

四方山話:
 今回の旅日記の文章を綴りながら、HPなどを検索。三国屋さんのもありましたねぇ〜。三国屋の女将さん、ご健在かしらと思いながら、HPを眺めていたら、パソコンに向かう女将さんの姿がありました。【参照先】−ページの一番下
 時間も経ってるから経営母体の交代などもあり得ますが、後ろ姿とはいえ、当時のイメージや年齢が記憶と合致するので、多分、同じ方でしょう。−その節はお世話になりました。m(_ _)m−
| 臥牛蝦夷日記 | 06:21 | comments(3) | trackbacks(0) |
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