CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
LINKS
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
甘樫の丘
 今朝(2005/11/14)、蘇我入鹿邸跡ともくされる遺構が発見されたのと報道があった(NHK)。
 明日香を訪ね歩いたときに甘樫の丘は訪ねていて、ガイドブックにも『ここに蘇我氏の邸宅があったと伝えられている。』との記載があった。緑に覆われた小高い丘に登ると、大和三山を見渡すロケーションが広がる。当時、権勢をふるっていた蘇我氏の邸宅跡に確かにふさわしい場所であると感じ、甘樫の丘全体が蘇我氏の邸宅跡で、その邸宅も丘全体を砦のようにした中世の館のイメージを抱いていた。
 だが、今朝の報道によると、発見された遺構は甘樫の丘の裾野の一画で、しかもその場所の地形が日本書紀の記述と符合し、どうやら本命筋のようである。
 今、旅日記を書き込んでいる『木曽路』には、当時の面影を伝える江戸時代のいくつかの宿場町が残り、『江戸時代の姿』を視覚的に認識させてくれるが、飛鳥時代ともなると現存する建物もなく、あるのは遺構のみなので、そこを訪ねてもまったくイメージがわかなかったりする。もっとも、今回の件に関しては日本書紀に場所を特定するような記述(「谷間にある宮」と呼ばれていたとの内容)があると言うことだから、事前の勉強不足とも言えるのだが・・・、甘樫の丘全体が邸宅跡というのが、勝手な思いこみだったらしい。
 明日香のような国家的歴史遺産の監督官庁である文化庁は、建築物については時代考証に基づいた細部の意匠までも復元することが必要で、安易な・・・こんなものだろう的な復元は認めていないと聞く。費用の問題もあるのだろうが、平城京も広大な敷地が確保されているにもかかわらず、町並みとしての復元がされていないのだから、時代がさかのぼる明日香ではなおさらだろう。妻籠のように、視覚的にわかりやすい明日香というのも見てみたい気もするが、著名な、しかも伝承のある蘇我氏邸宅の遺構ですら今の発見である。まだまだ、その姿を見せてくれるのは時間がかかるのだろう。
 薄ぼんやりとして、いろいろ想像をかき立てる古代というのもある意味で魅力的だが、歴史的事実の確定によってその時代のいろいろな知識を与えられるとやはり面白いと感じる。その積み重ねが私たちに古代の姿をもっとわかりやすくしてくれ、そしていつかは視覚的にも示してくれるのかもしれない。
 発掘という地道な研究が少しずつ古代を身近にしてくれている、そんな今朝の報道であった。
| 独白(ひとりごと) | 21:31 | comments(1) | trackbacks(1) |
明日香で悩む
 臥牛蝦夷日記、次なる地は「明日香」なのだが、記述に苦労している。
 今、「明日香」を歩くといろいろな想いをはせながら巡るのだろうが、当時の知識といえば、縄文→弥生→古墳→大化改新→平城京である。教科書(=受験)知識しかないはずだ。当時、どんな気持ちで歩いたのか・・・、もう少し時空を遡るための時間が必要かも知れない・・・。
 この地への今の想いと、当時の気持ちのギャップが大きすぎて、若き日の気持ちになり切れないでいる。
| 独白(ひとりごと) | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクセス解析について
 このブログには、忍者ツールズのアクセス解析を設定しています。jugemのアクセス解析による訪問者がやけに多いので、チェックのために設定しました。
 結果は、やはり、ブログ記事投稿のために自らがアクセスしてる回数もjugemのアクセス解析ではカウントしていたようで、日に3から4アクセス程度でした。やっぱりそんなものなのだろうなと、思ったりしています。
 一方で、忍者ツールズでは、「ドメイン名」まで確認できるので、ここを見てくれている「お友達」も、『本当に覗いてくれてるのかぁ〜・・・』といったことも、推測の域ではありますが、チェックできます。(笑)
 でも、こうしたことが分かっちゃうというのも、ネットの世界では常識なのでしょうが、なんかイヤな感じもしますね・・・。
 もっとも、管理人が見て無くても、どこでもログは取られて、いろいろな解析はされてるのでしょうがネェ〜・・・。
| 独白(ひとりごと) | 20:41 | comments(2) | trackbacks(0) |
『旅』への誘い〈いざない〉
 平凡なサラリーマンにとっては、毎日が、単調な時間の繰り返しである。
だからといって、それを平凡な毎日だ、退屈だと不満を持つようでは、サラリーマン生活などやってられない。
 少しだけ暖かく、優しさをました頬に当たる風や、厚い雲に覆われた昨日とはうってかわって、柔らかな日差しに、「春」を感じるようでなければ、本当に変化のない毎日を過ごすだけになってしまう。
 刺激の少ない毎日ではあるが、少しの変化に昨日とは違う何かを見つけ、喜び、想像の出来る明日があることに満足しているような感性じゃないと、サラリーマンを続けてはいけないのだ。
 しかし、である。
 そんな、平凡な毎日の繰り返しに、ふと、異空間への憧れをいだくことがある。
例えば、毎日の通勤で見かける、特急列車の編成であったり、TVの旅番組であったりする。
 いつもと違う空間に身を置くことだけでなく、心を異空間に運ぶこともまた、私の旅としてはある。


空間移動そして異次元への旅
 −−「旅」とは、いつもの生活の場とは異なる空間で時間を過ごすこと。−−
 単に、一泊を違う場所で過ごすだけでは成立しない。
 仕事でも、社会生活のやむを得ないつき合いでもなく、己の「楽しむ心」を伴った、時間でなければならない。
 だから、通勤途中でも、いつもと違う道を、訳もなくたどりたくなって、いつもと違う時間を過ごせば、それは、「旅」なのである。
 こうした、『空間移動』とは違った意味で、もう一つの旅がある。
 それは、−−心がいつもと違う時間を過ごすこと。−−
 本を読んで、映画やドラマを見て、心を揺さぶられるとき。確かに、単調な、パターン化した時の流れとは違う「時」を過ごしている。時間をどう使うかと言う意味では、全く同質のもの。
 私にとっての、もう一つの「旅」である。
| 独白(ひとりごと) | 19:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
<< | 2/2PAGES |